父方と縁を切った話

まず前提として、これから先の話はほぼ伝聞であり、また僕自身に話してもらったことは数少ないので、どこまでが本当かは分かっていない。なので、半分フィクションとして読んで欲しいし、その方があなたの精神衛生上にも良いだろう。

 

 

この話をする前に、父と母の話をしなければならない。

父と母は同じ地区で育った。年齢は6才くらい離れている。

母には消防士の父がおり、みんなから頼りにされる人だった。母は○○さんのところのお嬢さんと呼ばれており、外からはとても良い家庭であった。母の父、つまり僕の祖父は消防士を定年退職した後は地域に出来た空港で働いていたり、亡くなった時はお坊さんが5人くらいでお経をあげたり、その時には県知事の代理の人とかが来ていた。つまりそのくらいすごい人だった。

父のところは、母のところとは逆の方向で有名だったらしく、そこそこお金はあったらしいが、評判は良くなかったらしい。

 

二人の初めての出会いは、集団登下校のようなものだったそうだ。田舎なので、子どもも少なく、学校も遠かったので、園児と小学生が一緒に山を越えて登下校していたらしい。そこで年上として父が母(達?)の面倒を見ていたらしい。

 

父は学年が上がるほどにワルになり、良くない輩とつるんでいたそうだ。

母は幼い頃から家のことをしていたそうで、学校帰りに買い物をし、ご飯の準備をしたりなど日常茶飯事だったらしい(おそらく炊事洗濯もしていた)。また、イジメまがいのこともあったらしい。

 

対照的な二人が再び出会うのは、母がアルバイトをしていた喫茶店。父はそこに訪れてコーヒーを頼んでいたらしい。おそらくこの頃から父は母が好きだったらしい。喫茶店の話は母が何度かしてくれたので、嫌な過去の中で唯一の幸せなことだったのかもしれない。

 

父と母は結婚を考えるようになった。しかしお堅い家と不良。誰からも反対されるのは明らかだった。二人は反対を押し切り、結婚をし、長女が生まれると遠くに引っ越した。次女、そして長男が生まれ、貧乏ながらもなんとか暮らしていた。

 

ある日、父が倒れた。死の淵をさまよっている父の元に、父の親や兄弟が来た。

ベッドで眠っている父を見て、「あら、まだ死んでなかったの? 死亡保険金が入るかもと思ったのに」と吐き捨て、帰って行った。

父は大学のことや結婚のことで家族と喧嘩し、家を飛び出していた。また、死にかけたのはその前にもあった。それらもあり、そのような言葉に母はとても傷付いた。

 

この一件もあり、我が家は父方と完全に距離を取っていた。

しかし、ある日我が家に電話が入る。電話を取ったのは母だったと思う。

相手は父のお姉さんで、両親が離婚して面倒を看なければいけなくなったから、どちらかの面倒を看てくれないかというものだった。

連絡もせず、助けもしてくれず、父の死を望んでいる人たちをどうして助けなくてはいけないのか。

 

父方の祖母はお姉さんに引き取られ、祖父は老人ホームに入ったらしい。

父はその後、老人ホームに行ったらしい。

この話はほとんどされなかったし、定かではない。

 

 

僕にとっての祖父母は母方の一人ずつしかいないし、そのことを悲観したことなどない。ただ、そんな血が僕に流れていることは確かだ。

また、僕たち一家は母方の親族と付き合いがあったが、父をよく思っていない人もいたし、父一人をのけ者にしていたのもあった。祖父が亡くなって親族間の付き合いはほとんどなくなったが、それまで互いの親族に悩まされた父は辛かったのかもしれない。父方からは見捨てられ、母方からは疎まれた。一人だけ血がつながっていないのだから。

 

 

父は職を転々としていて、最近も仕事を変えた。

母は、僕が父の仕事を手伝ってくれるようになるといいな、と望んでいる。

きっと過去のあれこれがあって、家族として、親子として信頼できる関係を父に持って欲しいんだと思う。

僕はまだ精神の問題とか諸々あって、素直に実家に帰れないが、そんな風に親孝行が出来る日が来るといいなと思っている。

 

 

どこにでもあるかもしれない話。

他にもあるけど書ききれなくなるので、今回はこの辺で。

おっさんとビジホでチューした話

まずはじめに言っておきたいのは、タイトルが頂点の記事なので、これから先の盛り上がりを求めないで欲しいということだ。

 

 

僕が自分をゲイであるとほぼ確定させたのは、高校に上がった時だ。

具体的に何かがあったわけではないのだが、そうなんだ、と自分を納得させたのは覚えている。

女の子が好きだったし、好きになったし、好きになられたし、告白もされた。

今ではゲイだと思っているが、本当にそうかといわれれば悩むし、これから先もそうかといわれると困る。だって具体的に何にもないから!

 

とまあ、みんなの頭の中にあるゲイへのイメージ像とは異なるだろうし、おそらくイメージとぴったりな人はなかなかいないのではないだろうか。

私はこの件に関しては三次元的グラデーション説を唱えており……、とこの先は長くなるので又の機会に。

 

そんな高校生活(行間の中にはテニス部に入って半年で辞めて、帰宅部としてぶらぶらしている時に合唱部に拉致られたという内容が入っています)で、とある出会い系チックなサイトに登録していた。

 

ちなみにこのサイトはお仲間の紹介がないと登録できないもので、プロフィールを書いたり、掲示板で共通の話題で盛り上がったりするものだ。あるブログサイトの掲示板で知り合った人に紹介してもらい、高校の頃に登録した。

後に誰でも登録できるようになり、興味本位の人や女子などに荒らされ今では閉鎖した。まあそれだけでなく、スマホが出てきてアプリに人が流れたことも大きいのだろうが……。

 

そのサイトでおっさんからメッセージが来た。たしか、こんにちはーとか、どこ住んでるのーとか、そんな感じだったと思う。

そのやりとりの中で、○日に××県(僕の住んでる県)に泊まりで行くので会えませんか、というメッセージが来た。

ソッチの人に会ってみたい気もするが、襲われたりしたらどうしようとか、学校や周りにバレたらどうしようとか考えてしまいなかなか決断できなかった。

(かくにちゃんは貞操観念が強かったのです……!!!)

 

そんな時、なにがきっかけだったか、僕が合唱部に入る最後の一押しとなった当時副顧問だった女性教師にこのことを相談した。

するとゲイの知り合いいるし色々知ってるけど、まずは会ってみたら、と提案された。

今考えると、先生という立場として、生徒によくわからん大人と会うことを勧めるのはどうかと思うが、この件もあっておっさんと会うことにした。

 

メッセージのやりとりで、相手の泊まっているビジネスホテルに行くことになった。

知らない人で、しかも初めてのホテル、緊張しないわけがない。(実際には遠征などでホテルに泊まったことありました)

 

部屋番号を教えてもらって、そこを訪ねた。

おっさんがどんな人だったか気になると思うんですが、残念ながら、全く、これっぽっちも、寸分も、ミリで、覚えてねえ!!

タイプじゃなかった気はする。まあ、おっさんイケルかなって思い始めたのも最近だし仕方ない。

 

入って椅子に座らされて、可愛いねーとか、部活何してるのーとか聞かれた気がする。

その後に訪れる静かな空気。

恋愛経験の無い俺でも分かる、この後の不穏な流れ。

 

おっさんは俺にキスをした。

良いとか良くないとかじゃない、よく分からないが頭を流れる。

どちらかというと嫌かもしれない、けど断りづらくね? 拒否れなくね??

と思考がとっちらかってるところに舌が来た。

 

すみません

そう言って拒否していた。

おっさんは、この先は止めとこっか、といって離れた。

なんだかおっさんがペットボトルから飲み物を飲むのを見るのが嫌だった。

 

これからご飯に行かない? と誘われて、今ではどこにあるかも覚えていない韓国料理屋に入った。

そこで食べた料理がどんな味で、どんな会話で間を持たせたのかも覚えていない。

 

奢ってもらって、お店の前で別れた。

僕の中ではゲイの人とオフしたという事実だけが残った。

 

今思えば、おっさんは乱暴なこともせず、右も左も分からない若造の“初めての人”になってくれた優しき人だったのかもしれない。

ただ単におっさんのタイプではなかっただけかもしれないが。

ありがとう、おっさん! ありがとう、名も顔も覚えていないおっさん!

 

そんなこんなで、初オフも、いい年になってからの初めてのチューも捧げたおっさんとの話でした。

 

 

後日副顧問の先生にはどうだったの、と聞かれましたが、笑って返すことしかできませんでした。

 

ちなみに、大学生になってからも色んな人とオフしてあれやこれやあったけど、これはまた別の機会で……。

ふおん

 

久しぶりに一族と会った。

兄弟とはなかなかに会話ができるようになったけど、それ以外とはうまくいかない。

なぜなのかと思っていたけど、本人に直接言わなかったりとか、その仲立ちを子供たちがしていたりだとかが苦手だったのかも。

 

僕は家族で唯一血液型が違っていたり、兄弟と性別が違っていたり、歳が離れていたり、勉強が出来るほうだったり、ナンチャラ占いで一人だけ救う側だったりで、仲裁役みたいなのをやらされていた。

小さいときからだったからそれが当たり前で、それが負担になっていることに気付けなかった。

 

今回の旅行でそれをあらためて感じた。

前にも何度も思っていたが、すぐに忘れてしまうたちなので忘れてしまっていた。

 

どれほど忘れやすいかというと、ある日突然前日以前の勉強内容を忘れてしまうほどだ。

この現象は覚えているだけで二回あり、中学の時に英語を、高校の時に数学を忘れてしまった。

英語の時は語順とか一切分からなくなり、アイアムアペン、が日本語としてかろうじて出てくるくらいだった。

これによって、僕の英語嫌いは確定してしまった。

高校の時の数学忘れも結構なもので、中学範囲からやりなおした。

それでセンターの頃にはⅠAⅡB共に一問間違えるくらいに、二次ではそれだけを武器にできるほどになっていた。

ただ、数学の場合は小学生の時に苦手になったのを克服したりだとか、いろんな人から褒められたからとか、もう数学が出来なかったら僕の存在価値がないからとか、そういうのでどうにかしてしまった。

 

他にも、どこかに行った記憶とか、誰と何を喋ったかとか、親とどういうやりとりをいつもしていたかとかも覚えてなくて。

でも、それも防衛本能だったのかもしれない。

 

話は脱線したし、特に言いたいこともないんだけど、そういうことで悩んでる人間もいたりするんだよーと知っていただければ…。

 

そして“大人”になろう……。

やどかり

僕は大学二年になった。新しい生活に慣れようとしているうちに入学から一年が過ぎてしまった。

「ほら、出来たぞ」

「おー、ってまた焼きそばかよ……」

この男、黒根政(マサ)はまるで我が家かのように僕の家で寛いでいた。

「文句言うなら自分で作れよな」

マサは大学に入ってからの友達なのだが、とても馬が合い、悪態をつき合うが嫌な気分にならない唯一の人間である。

「ていうか今日は何で来たんだよ」

「用がなきゃ来ちゃいけねえのかよ、お前は冷たい人間になったなあ、冬場のサドルくらい冷たいよ」

「例えはどうでもいい。ここ数日突然来なくなってただろ」

マサは僕の家に三日と経たずに来るほど入り浸っていた。こんなサイクルは半年以上続いていて、年末年始も一緒だったくらいだ。

「なに、寂しかったの? よしよーし」

「おい、止めろ」

いつもの調子で話してると、一週間以上家に来なくなってたことなんて些細なことに思えた。
文句を言われた焼きそばを二人で食べ、テレビを観ながらダラダラと明日の授業のレポートを進めた。

「んあー、終わり! 寝よ寝よ」

マサはそのまま横になった。

「お前速すぎだろ」

マサが完成させた手書きのレポートを片手でペラペラめくる。

「お前が遅すぎるだけだっての。……写すんじゃねーぞ?」

「まさか。こんな内容の薄っぺらいもの出したら教授にキレられるわ」

バッカ、内容より完成させること優先だろ」

「あーはいはい」

マサに遅れること一時間、まずまずの出来のレポートをカバンに閉まってそのまま眠りについた。

翌日、遅刻しかけた俺たちは教室まで競うように走った。




「よっす」

授業後、ふらっと現れた巨体に声を掛けられた。

おじさん

おじさんは新しいリモコンを作る旅に出た。

おじさんが僕にくれたのは掌に収まる白いリモコンだった。このリモコンで何が出来るの、と聞いたら、雪を降らせる事だけだ、と言われた。一つだけある丸いボタンを押すと、はらはらと雪が降ってきた。雪はどんどん降り積もり、様々な境界線を隠してしまった。おじさんと僕は雪うさぎを作ったり、雪だるまを作った。一緒にかまくらの入り口を掘っている時、おじさんはむやみやたらにこのリモコンを使うな、と言った。僕はこんな素敵なリモコンをどうして使っちゃいけないの、と尋ねた。雪は綺麗だが、お天道様が隠れてしまうだろう、そうすると困る人が出てくるんだ、とおじさんは笑って言った。僕は笑顔で頷いて、出来上がったかまくらに飛び込んだ。

箱に仕舞った小さなリモコンを見るたびにおじさんを思い出す。今年もまた初雪が降ってきた。